1)主観症状
中心となるのは不安です。通常の不安との違いは次のような諸点です。@通常の不安ははっきりとした理由があり、他の人に伝えることができますが、神経症性の不安は理由があいまいで、他の人にうまく伝えられません。A通常の不安は、不安の原因がなくなってしまえば気にならなくなるためあまり長くは続きませんが、神経症性の不安は原因が解決しても、また起こるのではないかという不安(予期不安)が、強く長く続くため我慢しにくいものです。こういった特徴をもつ神経症性の不安は、本人でも何が不安かよくわからない側面もあるため、周囲の人にも理解されず「気のせい」、「気にし過ぎ」などと軽視されがちです。
しかし、本人にとっては非常に辛い精神的体験で仕事も手につかなくなってしまう場合も少なくありません。
2)身体症状
不安は本人だけが感じる主観的体験ですが、しばしば身体の症状も伴います。例えば、動悸、息苦しさ、胸部圧迫感、喉のつまる感じ、めまい感、のぼせ感、発汗亢進、頻尿、頭重感、吐き気、下痢、食欲低下などがあげられます。いわゆる易疲労感、自律神経失調症的な症状がみられ、身体的諸検査で異常がみられない時には、その可能性を考えることも必要です。
3)社会行動面
神経症の場合は、先に述べたような精神病状態と異なり、社会行動面での異常を示すことは多くありません。すなわち、内面的に本人は苦しんでいても、社会行動面という観点からは大きな破綻は生じないのが神経症の特徴です。
3.各種神経症の概説
最近では、精神医学分野では『神経症』という用語は余り使用されなくなる傾向があります。しかし、ここではその解りやすさから、従来から言われている各種神経症について、代表的なものについて概説します。
1)不安神経症
不安神経症は最もいまいまみられる神経症で、成人人口の2〜3%の頻度ともいわれています。これには、不安発作と全般性不安状態があります。
不安発作とは、理由もなく突然不安におそわれるもので、その際には身体症状が伴います。身体症状としては、呼吸困難・動悸・胸部圧迫感・窒息感・めまい感・手足のしびれ感・発汗・気が遠くなる感じ、などがみられます。
全般性不安状態では、不安発作がおさまった後でも慢性不安状態の形で不安は存続します。このため、「また不安発作がくるのではないか! ?」という予期不安を伴うことが少なくありません。
このため、ひとりで外出したりすることに制限が加わってしまう場合もみられます。
不安神経症では、薬物治療が著効を呈することが多いので、担当医の指示に従いしっかりと服薬することが重要です。また状態が良くなり服薬をやめる際も、一度に全部やめてしまうと、再び発作におそわれることがあるため、徐々に一週間ごとくらいのベースで漸減してゆくことが必要です。また、不安発作が生じやすい状況としては、その頭文字をとって『HALTの状況』になっていないかどうか、自ら検討することも大切です。
HALTとは、Hungry(空腹)、Angry(怒り)、Lonely(孤独)、Tired(疲労)を意味し、このような状況下で人は不安状態に陥りやすいとされます。朝食や昼食を抜いたり、職場で激しく口論したり、海外で強い孤独感を感じていたり、ひどく疲れている時は、不安神経症に陥りやすいので注意が必要です。もし自らの状況を点検してHALTがあるようであれば、これを減じるようにライフスタイルを改善することが必要です。
2)恐怖神経症
不安神経症では、不安の対象がはっきりとはしませんでしたが、恐怖神経症では不安が特定の対象や状況と直接結びついています。
恐怖神経症の対象としては、以下のものに分類されます。@物理的状況に関する恐怖症A対人的状況に関する恐怖症B特定の物体や状況に関する恐怖症、の3つです。@に属するものとしては、閉所恐怖(エレベーター、飛行機の中など)、高所恐怖などがあります。Aに属するものとしては、赤面恐怖(人前で赤くはならないかという恐怖)、視線恐怖(他人の視線が気になり外出に支障を生じる)、などがあります。Bに属するものとしてはいろいろなものが考えられますが、先端恐怖(ハサミ、尖ったものなど)、不潔恐怖、などがあげられます。これら恐怖神経症ではいずれのものでも、その特定の恐怖対象を避けてさえいれば不安が生じることはない点が特徴といえます。
3)強迫神経症
強迫神経症では、自分でも合理的ではないとわかっている考えやイメージが、自らの意志に反して繰り返し繰り返し浮かび、自分では止められない状況となります。これを強迫観念と言います。
最も多くみられるのは先に述べた不潔恐怖と結びついた強迫観念です。そして多くの場合、この強迫観念を打ち消すために、強迫行為を伴います。
不潔恐怖であれば、強迫的に手を洗う行為が繰り返されます。もちろん、本人もその行為の不合理性を十分知ってはいるのですが、やめることは難しくなっています。強迫行為が他者によってやめさせられると本人の不安は増悪します。
強迫神経症は一般に経過が長く、強迫性格の人にしばしばみられます。強迫性格とは几帳面、完全主義的で、万事自分の思うとおりにしないと気がすまない、といった自己中心的で堅苦しい性格をいいます。
今日では強迫神経症に対しても、森田療法をはじめとする精神療法と共に、薬物療法も有効となってきています。
4)抑うつ神経症
抑うつ神経症では、憂うつな気分、物事への関心の低下、自信喪失、不安感、消極的な姿勢、悲観的態度、などが主症状となります。契機として対象喪失がみられることがあげられます。対象喪失とは、自分にとり重要な存在(身体的、心理的、社会的なもの)を失うことで、近親者の死といった生活上の大きなできごとから、仕事上の失敗による自信の喪失、といった日常生活上のささいな出来事まで広いスペクトラムを有します。
うつ病との相違を以下に述べます。@抑うつ神経症では、35歳以下の青年層を中心により若い年齢層にみられる。Aうつ病では朝に憂うつ感が最も強く、夕方には少し軽くなるという日内変動がみられるが抑うつ神経症ではこれはみられない。
Bうつ病では中途覚醒、早朝覚醒が多いが、抑うつ神経症では入眠困難が多く、一度寝つけばその後は覚醒しないことが多い。C抑うつ神経症では自分を責めるより周囲を責める場合が多く、他者に対する依存性も高く、うつ病と反対の様相を呈する。といった諸点です。
治療は精神療法が中心です。薬物療法は、うつ病ほどは有効ではないものの、不眠・不安感・憂うつ感などには有効性があるため、しっかりと服薬することも重要です。
うつ病
うつ病は読者の方も御存知のように、朝に強い憂うつな気分(ゆううつ)、新聞や本を読んでも頭に入らないといった思考抑制(おっくう)、不安焦燥(イライラ)、自信喪失、自責感(申しわけない)などの精神症状と、睡眠障害(中途覚醒・早朝覚醒)、食欲不振、性欲低下、体重減少、便秘・口渇をはじめとする自律神経失調状態などの身体症状から構成される疾患です。そして時に自殺という悲劇に至るため、早期の診断・対処が必要です。ここで、実際のうつ病およびその対応についてのイメージを提供するために、海外赴任後、うつ病になった勤務者の事例を紹介します。
【事例】
◆Aさんは36歳の大手商社の独身男性。以前から3年間のワシントン勤務を通達されていましたが、直属の上司の交代に伴い、その影響で急遽、赴任先が東南アジアの発展途上国に変更となりました。
今まで懸命に勉強してきた英語も役に立たなくなり、結婚を考えていた恋人にも「その国じゃ私は行かない」とふられてしまいました。
気持ちの整理のつかないまま、やむなく赴任したものの、「自分は来たくなかった」と赴任先の同僚に漏らしてしまったため、職場内の人間関係が悪くなり、赴任直前に勉強した現地語もほとんど通じず、引きこもった生活を送るようになりました。アルコール、たばこも日本にいた時にくらべ2倍量に増え、週末はほとんどアパートで終日寝込むことが多くなっていきました。ほどなく、いらいらが高まり仕事が手につかなくなり、考えもまとまらず、夜、これからのことを考えると不安で熟睡できなくなり、朝遅刻することが多くなってしまいました。このため、会社内でのAさんの言動を心配した上司が国際電話で当センターに相談してきました。
◆症状・診断:状態像としては、抑うつ気分、思考抑止、悲哀感、不眠、などを認め、うつ状態と言えます。要因としては@海外赴任に対し、行きたくないという強い負のモチベーションが存在したこと、Aストレス対処行動として、現地での生活・業務に積極的に溶け込もうと対処せず、 消極的逃避行動をとっていること、B生活・業務に充実感が得られていないこと、C現地でのメンタルサポーターがいないこと、D悲観的傾向をもつこと、E海外勤務に伴う種々の対象喪失、などがあげられます。
以上より、本事例は海外勤務を契機として不適応状態を呈し、うつ状態に陥っているといえます。
放置して悪化すれば状況によっては自殺などの危険性も否定はできません。
◆治療・解決法:本事例では、職場上司から提供された情報より、うつ病が強く疑われたため、本人と直接電話で連絡をとりました。これによると、不安、焦燥感の強いタイプのうつ病で、かなり混乱状況にありました。
うつ状態の基本的治療は、@休養 A薬物治療B精神療法 の3者です。本事例では上司と本人に対し国際電話で、うつ状態であり決して怠け病ではないこと、しっかりとした休養が必要な状態であること、などを告げ理解してもらいました。
さらに、不安感、不眠などを強く伴ううつ状態であったため、薬物療法の適応と考え、日本にいる本人の家族に薬物を取りに来てもらい、空輸してもらいました。これらの対応により、約1か月後には、不安感、焦燥感、不眠などは解消しましたが、強い抑うつ気分は持続しました。このため遠隔地での治療には限界があると考え、会社の上司などと相談し、帰国した上でしっかりと治療する方針をとりました。
帰国後、直接診察し、精神療法および薬物療法を行ったところ、約2か月後には抑うつ状態像も改善し、程なく本社勤務となり回復しました。
海外勤務者が種々の要因によりうつ状態に陥った際には、以下のことが大切と思われます。@十分な休養をとりあえず現地でとらせること。Aメンタルサポーターを確保すること(友人、同僚、家族など)。B可能であれば、現地の医師を受診し治療を受ける、これが不可能であれば産業医などに相談し、しっかりと見立てた上で、日本から適切な薬物を送付すること。C以上の手段で改善が得られない時は、職場配置転換を行い、日本に帰国させ、十分な治療を専門施設で受けさせること(この際には帰国決定とし本人の気分を落ち着かせた上で対処することが望ましい)。
まとめ
以上、しばしばみられる神経症とうつ病について概説しました。海外赴任者がこのような病態に至る大きな要因には、環境変化にせよ対人葛藤にせよ、種々の状況因により『心理的疲労』をきたすことがあげられます。人は心理的疲労状態に陥ると、現実生活を送るための適応能力が低下し、不安症状や抑うつ症状が出現します。そして、これら病的不安に対し、抑圧・逃避・反動形成・置き換えといった心理的防衛機制が作用しますが、心理的疲労状態ではこれら諸機能がうまく奏功せず、結果として種々の神経症症状を生じることになると考えられています。
すなわち海外勤務において、これらの疾患を予防するという観点からは、心理的疲労状態に陥らないことが肝要といえます。そのための注意点としては以下のものがあげられます。@対人関係や環境変化などでストレスが生じた際には、できる範囲内で問題解決に積極的にアプローチし、消極的・逃避的な対処をしないこと。また、周囲に仲間を十分に確保し、語り合ったりスポーツをしたりして積極的に気分転換を図ることも重要です。A楽観的姿勢を保持すること。海外では予測不可能な事態が多く、自分一人で深刻に問題を抱え過ぎると悪循環に陥る危険性があります。無責任というのではありませんが、『どうにかなるさ !』と考え、鷹揚に構える姿勢も海外では必要です。B生活や仕事に充実感を得られるように工夫すること。充実感の少ない精神的に空虚な状態というのは想像以上に精神的に消耗する側面があります。何らかの着目点をみつけ、より充実した楽しい日々を送ることが大切です。C仕事の量を適正限内に抑え、職場での人間関係を良いものにする。特に職場内の人間関係は重要です。いかに工夫しても職場内人間関係が改善しない時は、その状況から心理的距離をとる必要が生じる場合もあります。
最後に、神経症やうつ病を有しながら海外赴任に赴く場合は、しっかりと服薬し、日本の担当医とも万一の時に連絡をとれるようにしておくこと、そして現地で信頼できる医療機関を確保することが必要です。症状が増悪する場合には、速やかに帰国することが原則となります。過去に精神科治療歴を有する人の海外渡航は慎重を要するといえます。