日本人の死因の第1位は癌であり毎年20万人以上の人がそのために死亡している。中でも胃癌は多く約4万5千人であるが、一方、胃集団検診の普及などに伴う早期癌の発見率の増加によってその治療成績は年々向上している。
胃癌手術後に考慮しなければならないことは大きく分けて二つある。一つは再発の有無についてのチェックであり、もう一つは胃切除後の合併症に対する対策である。現在、胃癌の切除法には内視鏡的切除と開腹して胃の一部あるいは全部を切除するいわゆる胃切除との二つがある。早期癌の中でもごく初期のもの、癌が胃の壁の一番浅い層(粘膜)にとどまっており、その大きさも小さく、悪性度も低いものに対しては内視鏡的切除が行われる。早期癌症例の約30%がこのようなケースである。
この場合は速やかな社会復帰が可能であり、後述する開腹術後に見られるような種々のトラブルもないわけであるが、癌が完全に切除されたか否かの内視鏡によるチェックを術後1年間はかなり頻繁に行う場合が多い。
この時期はできれば海外勤務は避けた方がよいであろう。それ以後のチェックは、原則として、年1回の内視鏡でよいと考えられており、従って、この時期になれば海外勤務は差支えないと思われる。一方、胃切除の対象は早期癌から進行癌まで様々である。
早期癌の場合には、リンパ節転移がなければ手術成績は良好であり、90%以上が治癒すると考えてよいが、術後2年間は2カ月〜6カ月毎のチェックが必要である。それ以後は医師の許可がでれば海外勤務も可能であるが、さらに術後5年くらいまでは胃レントゲン検査または内視鏡検査、胸部レントゲン検査、血液検査、必要に応じて超音波、CTによるチェックなどを年1〜2回行った方がよい。赴任先でこのような検査が難しい場合には、年1回程度、赴任者を帰国させて検査を行うなどの企業側の配慮が必要となる。
次に胃切除後に生じうる障害について述べる。胃のもつ最大の役割は口から入った食物を一時的に貯蔵することである。胃に入った食物は胃液と混ってある程度の消化をうけるとともに、胃運動によって混和攪拌され小さな塊となって少しずつ十二指腸へ運ばれる。胃切除の影響については、癌の手術の場合は、一般に胃の切除範囲が大きいため(最近は小部分の切除に止めることもあるが)、これらの貯蔵能、胃液分泌能、運動機能が大巾に低下する。従って、食物を一度に多量に摂取することができなくなる。
さらに、食物は混和攪拌されることなく重力の作用で急速に小腸へと通過してゆくため、小腸で行われる生理的な脂肪・蛋白などの栄養素の消化吸収も低下する。胃切除後の訴えで最も多いものは食後の上腹部の膨満感、痛みなどである。摂食量の減少と栄養素の消化吸収障害などのために体重減少が生じ、また下痢をしやすくなる。月日が経てば改善されることも多いが、それまでは少量ずつ回数を多くして食べるとか、できるだけ時間をかけて食べるなどの注意が必要である。さらに、胃切除後はアルコール代謝能が低下する。これらの点を注意することは食事習慣の違う海外生活においては特に重要である。
その他の問題としては、鉄・ビタミンの吸収障害による貧血・カルシウムの吸収低下による骨粗鬆症などがある。また、小腸内容液が残胃・食道などに逆流することによって胸やけ、心部痛などが生ずることもあるが、これらに対しては、場合によっては薬剤の服用が必要になる。
なお、感染症との関連では、胃切除後は殺菌効果のある胃酸の分泌が低下するため、コレラ等の発症の危険が高まり、かつ重症化するおそれがある。
大腸癌
大腸癌による死亡者数は30年くらい前までは年間5千人程度であったが、その後飛躍的に増加して、現在は年に2万5千人を越えている。スクリーニング検査としての便潜血検査の普及、さらに胃癌の場合と同様にレントゲン検査、内視鏡検査などの診断技術の進歩があいまって、大腸においても早期の癌が多数発見されるようになった。大腸癌の場合も、癌が小さく粘膜のみにとどまっている時には、一般にリンパ節移転もないため、内視鏡的に癌を切除するだけで治癒させることができる。
その後のチェックとしては年1回の便潜血検査と2〜3年後の内視鏡検査でよいと考えられるので、それを前提とすれば海外勤務は問題ないと思われる。ただし、大腸癌の場合は癌が多発することが多いので、そのような場合や、また、切除した癌が粘膜よりやや深くまで入りこんでいることが判明した時などには、内視鏡による再検を1年以内にすることが望ましい。腸切除の場合は、大腸癌では血流を介して癌が肝臓などに転移していることもあるので、リンパ節を含めて病巣が完全に切除されたと考えられた時でも、術後2年間は、胃癌の場合と同様に2〜6ヵ月毎に定期的にチェックをすることが望ましい。その後は海外勤務可能と考えてよいが、やはり、5年目くらいまでは最低年1回の検査は必要である。
大腸の生理的な役割は、大量の液体を含んだ内容物を小腸から受け入れて、水分を吸収して、正常な排便が可能な状態にすることである。大腸癌の手術の場合、腸管を栄養する血流と所属するリンパ節の関係で全長の半分近くを切除することが多い。従って、上述の吸収機能が障害され下痢を生じやすくなる。また、大腸の終末部のS状結腸は、便によって拡張されると排便につながる運動を生ずる部分なので、ここを切除すると正常な規則正しい排便習慣が阻害されることになる。大腸手術後は排便に関連した生活のリズムを掴むことが大切である。これは食事内容にも関連しており海外生活ではその点を注意しなければならない。
おわりに
医学の進歩した今、早期の治療によって癌が治癒することも珍しくなくなり、胃癌・大腸癌の手術をうけた人達が海外で勤務する機会も今後多くなるものと思われる。癌手術後の状況は個々の症例によって様々であるので、これを一律に論ずることは難かしいが、一般論として、治癒手術がなされたと考えられる場合でも、ある期間再発の有無をチェックすることは必要であり、また、胃や腸など消化管に対する手術後には特有な合併症の問題もある。海外勤務に関連してそれらにどのように対処すればよいかを述べた。手術をうけて海外勤務される方々、また、こうした人達を派遣する企業の担当者の御参考になれば幸いである。