「海外赴任と成人病」 成人病を持って海外赴任した場合の健康管理
下痢症
日立製作所産業医料推進センター長 原田 敏雄
 下痢症に関しては海外赴任に際して注意すべき成人病というよりは、現地に赴任してからの発症の方がはるかに大きな問題である。とくに開発途上国においては、ほとんどの人が経験するといっても過言ではない。一部には不慣れな環境や食事によるストレス性のものもあり得るが、その多くは細菌、原虫、ウイルスなどの感染症である。以下これ等の主なものについて述べる。

大腸菌感染症

 海外赴任者あるいは旅行者が経験する下痢症の中で、最も多く見られるものである。一般的には病原性大腸菌と呼ばれているが、幾つかの種類があり、主なものは次の三種である。

1)毒素原性大腸菌
なかでも最も頻度が高く、海外で経験する下痢の3〜4割はこの菌によると言われている。ある種の毒素を産生し、症状としてはコレラと同じ様な急性の水様性下痢を起こす。

2)腸管出血性大腸菌
昨年来、国内でも大きな社会問題になっているO−157がこの菌種に属する。赤痢菌毒素に似たベロ毒素を産生して、鮮血便を伴った激しい下痢を起こす。時に溶血性尿毒症症候群や脳症を起こして重篤な経過をとる。とくに小児では注意を要する。

3)病原性大腸菌
狭義の病原性大腸菌であり、主として開発途上国における乳幼児の持続性下痢症の原因である。

コレラ

 国内では時に輸入食品からの集団発生で話題になる程度だが、東南アジアを始めとする開発途上国では、依然として最も頻度の高い細菌性下痢症である。

コレラ菌には古典的なアジア型とエルトール型があり、最近の流行はほとんどエルトール型で、症状はアジア型よりは軽い。激しい水溶性下痢をおこし、その性状は“米のとぎ汁様”と形容される。下痢便の量は1日10リットル以上に及ぶこともあり、高度の脱水状態になる。重篤な脱水が死亡原因となるので、早急な水分と電解質の補給が必要である。点滴あるいは経口的な輪液を行う。

赤痢

 細菌性赤痢とアメーバ赤痢があり、いずれも国内では稀であるが、途上国ではなおかなりの頻度で見られる。

1)細菌性赤痢
熱帯、亜熱帯の開発途上国における下痢症の代表的なものの一つであり、これらの国では年間十万から数十万の患者が出ていると推定される。汚染された飲食物から経口的に感染し、1〜4日の潜伏期を経て悪寒、発熱、腹痛、下痢を主な症状として急激に発症する。下痢は最初は軟便、水様便で始まり、極期には膿、粘液、血液を混じた濃粘血便となる。その際には“しぶり腹”が特徴である。

“しぶり腹”とは1回の下痢は少量だが腹痛と便意を頻繁に繰り返す状態である。最近、比較的軽症例も多いが、抗生物質による治療が必要である。

2)アメーバ赤痢
赤痢アメーバは世界中に広く分布し、とくに熱帯、亜熱帯の途上国に集中している。世界中で約5億人が感染していると言われているが、ただその9割は無症状で、便に赤痢アメーバを排泄しているだけの保菌者である。残りの10%が発病し、年間に5〜10万人が死亡している。症状はやはり腹痛、粘血便の下痢、しぶり腹であるが、一般的に細菌性赤痢よりも軽い場合が多い。時に肝臓に腫瘍を作ることもある。治療には特殊な抗生物質が必要である。

サルモネラ菌感染症

 サルモネラ菌はチフス菌と同じ系統の菌であるが、国内においても食中毒の主要な原因の一つである。当然、海外でもその頻度は高く、感染源は肉、卵、乳製品などである。症状は下痢は必発で、発熱、腹痛もほとんどの例で見られ、細菌性食中毒の中では重症な例が多い。便は緑がかった水様便で1日に20回に及ぶこともある。治療は抗生物質も用いられるが、輸液などの対症療法が優先する。

その他

 腸炎ビブリオは塩水を好む特殊な細菌で、海産魚介類から感染する。国内においても夏期の食中毒の主な原因であるが、熱帯、亜熱帯地方ではさらに頻度が高い。経過は一般的に良好であるが、これらの地方で生の魚介類を避けることは当然である。

 カンピロバクター腸炎は主に小児にみられ、家畜の肉類から感染する。熱帯、亜熱帯地方で血便を伴う小児の下痢症の約半数は本菌が原因といわれている。

 ランブル鞭毛虫症(ジアルジア症)はアメーバなどと同じ原虫の一種で、熱帯、亜熱帯の衛生環境の悪い所に多い。無症状のことも多いが、典型的な場合には悪臭のある脂肪便様下痢を起こす。多くの場合は自然に治癒するが、胆嚢炎を起こすこともある。

 ウイルスによる下痢症は先進国、途上国を問わず見られ、乳幼児の下痢の半数を占める。成人では軽症のことが多いが、途上国では乳幼児の死亡例がかなり見られる。

 以上海外赴任時にみられる下痢症の主なものについて述べたが、予防のためにまず注意しなければならないのは、言うまでもなく生水、生物の摂取である。とくに開発途上国の衛生環境の悪い所では絶対に避けなければならない。途上国の水道水は60%〜80%大腸菌腸性との統計もあり、ミネラルウォーターでも国によっては絶対安全とは言えない。当然、煮沸が必要で、全ての細菌、寄生虫、ウイルスは5分間の煮沸で死滅する。また氷は水道水から作られることが多いので、これも避けなければならない。

 水に関しては熱帯、亜熱帯地方では硬水のことが多く、赴任直後にはそれだけで一過性に下痢を起こすことがある。この場合は大体一週間位で自然に落ち着くことが多い。

 感染性の下痢の治療に関しては、まず水分と電解質の補給が基本である。コレラなども含めて大半はこれで自然治癒する。脱水が強い時には点滴で輸液を行うが、軽症ならばスポーツ飲料などを飲むだけで良い。いわゆる下痢止めの薬は多くの場合有効だが、時に経過を長引かせることもある。その他、赤痢など特殊な細菌、原虫感染症の場合には抗生物質が必要である。これらの感染の可能性のある地域に赴任する場合には、予め夫々に適した抗生物質について産業医に相談をして対策を考えておく必要がある。症状としては下痢症状が強く、とくに血便が出るような時、発熱が続くような時は要注意である。

このような場合には、必要に応じて現地の医療機関を受診する事も考えねばならず、出来得れぱそれらの事前の調査が望ましい。


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